こんにちは、今日は日本語の練習をしたいため、今日から翻訳してみようと思います。目標は毎日投稿だけど 笑 絶対考える通りに行かないと思うから、できるだけ多く投稿します

表題の通り、今日翻訳したいのは、火田博文の作ー『日本のしきたりが楽しくなる本』です。この中に、たくさんのしきたりを紹介しますから、日本のコンビニで見かけた時に、買おうかと瞬殺しました 笑

では、つまらない話はここまででーす。

日本語原文と中国語訳文を一つずつ書きます。

二月のしきたり「節分」

「鬼は外、福は内!」

 

豆をまいて、鬼を退治する節分の日。今では二月の大きなイベントとして行われていますが、もともと節分とは、その名前の通り季節を分けるときのこと。だから立春、立夏、立秋、立冬と、四季に合わせて年4回、それぞれの前日が節分でした。それがいつしか、立春の前日を節分と呼ぶようになっていったのです。

 というのも、旧暦では立春の頃が新年でした。だから立春の前日は、節分であり大晦日だったのです。春夏秋冬の中でも新しい年を迎えるこの日は重要視され、ただ一つの節分になって、今に至っていると言われています。

 そんな節分では、一年の厄を落とすことがなりよりも大切。そして新しい年は、病気や心配事も不幸もなく、楽しく暮らしたい。だから、悪いこと、ものの集まりである「鬼」をやっつけるのです。鬼とは伝説のモンスターなどではなく、人の世に降りかかる災いの象徴。これを追い払って、一年の幸せを祈る。。。。。それが節分なのです。

 また季節の変わり目というのは、今も同様ですが、体調を崩しやすい時期です。気温や天気も不安定で、風邪をひく人も多くなります。だから節分という行事でもって、人々に注意を促す意味もあったでしょう。現代の節分でも、そのことを思い出して、体調管理をしっかり心がけたいものです。

 鬼を追い払うという節分の行事は、平安時代から続いています。中国から伝わった「追儺」や「鬼遣らい」という儀式がもとになっているそうです。弓矢やたいまつで、鬼の面をかぶった人を追い立てるというものでした。

 追儺は平安時代の女流文学である「蜻蛉日記」にも登場します。書き手である藤原道綱母は「人は童、大人もいはず「儺やらふ、儺やらふ」とさわぎのしるを、我のみ怒火にて見聞けば。。。」と記しています。大人も子供も、みんな声をあげて鬼を追っている様子が伝わってきます。「儺やらふ」とは、今でいう「鬼は外!」の掛け声なのかもしれません。

 こうして鬼を、厄を祓う儀式として親しまれてきた節分ですが、室町時代あたりから様子が変わってきます。豆をまくようになっていくのです。

 豆、大豆は、日本人の生活になくてはならないもの。醤油、味噌、納豆、豆腐。。。。私たちの食事には、大豆から作られるものが実にたくさんあります。大豆なくしては、日本人の食卓は成り立たないとさえ言えるでしょう。

 そんな大豆は、お米をはじめとして、麦、あわ、ひえとともに「五穀」と呼ばれ、大切にされてきました。農作物が豊かに実ることを「五穀豊穣」と言いますが、大豆はその象徴。だから神聖な力を持つと思われてきたのです。そんな豆には「魔滅」という漢字が当てられることもありました。魔を滅する力、鬼を退治する力があると信じて、人々は豆を撒いたのです。

 こうして今の節分の原型が作られていきました。豆をまいて、恐ろしい鬼に、病気や災いに対抗するのです。

 そんな鬼も擬人化が進み、豆のほかにも苦手なものが増えていきました。焼いたイワシの臭いと、ヒイラギの葉のトゲです。この2つがセットになった「柊鰯」を、節分の日は魔除けとして玄関に飾るしきたりもあります。節分が近づくと、街では大豆とともに柊鰯も売り出します。
 豆をまいて楽しむだけではなく「鬼」が近づかないよう生活を見直して、心身をケアする日として、節分を迎えたいものです。

福豆

節分の時にまく豆は、福豆とも呼ばれます。前日のうちに大豆を枡に入れ、神棚にお供えしておいたものを、炒ってから撒きます。その後に福豆を食べるのですが、自分の年齢+1個食べるのがしきたり。これは節分がかつて大晦日だった頃の名残りといわれます。これまでに生きてきた歳月に感謝をして、年齢分の豆を。そして翌日の立春から始まる新しい年が無病息災であることを祈って、もう1粒を。福豆にはそんな思いが込められているのです。

 節分の食べ物と言えばややコマーシャリズムに押さえながらではありますが、近年は恵方巻が人気になってきました。陰陽道でその年に縁起が良いとされる方角=恵方を向いて太巻きを食べるというものです。長い太巻きを切らずにそのまま食べることで、福との縁を切ることなく身体に取り込めるんだとかも。もとは大阪の商人たちの風習だったといいます。

============以上は日本語原文=================

訳文:

「魔鬼滾出門,福神進門來」

  節分是個灑豆子,讓魔鬼退散的日子。在現在是二月舉行的一個大活動。不過,原本所謂的節分呢,正如其名是分隔不同季節的日子。因此,結合四季,立春、立夏、立秋、立冬,一年四次,前一天稱為節分。之後不知從何時開始,只有立春的前一天被稱作節分。

會這樣的原因是,以前在舊曆的立春的時候是所謂的新年。所以節分,立春的前一天,也是所謂的大晦日。春夏秋冬中這個迎來新的一年的日子相當被重視,所以據說便成了至今只有這一天被稱作節分的樣子。

  在節分時,非常重要的是將一年的厄運給去除。然後在新的一年中,生病,煩惱還有不幸都不會有,想要快樂的生活。所以,才會要趕走集結壞東西、壞事情的惡鬼。惡鬼並不是代表傳說中的怪物,而是帶給人類世界災禍的象徵。將它們驅除,為一年的幸福祈願,這就是節分。

  再者,所謂節分,就是季節的轉捩點,跟現在一樣,是身體容易出問題的時期。氣溫跟天氣的不安定,所以感冒的人也因此變多。因此節分這樣的節日,也是有叮嚀人們注意的意味在吧!?現代的節分也是,讓大家想起來在這個時間要留意好好照顧身體。

  驅鬼的這項活動,是從平安時代傳下來的。從中國傳來的「追儺」及「鬼遣らい」的儀式據說是驅鬼的雛形。所謂驅鬼是利用箭矢以及松明(能夠點火的木頭棍狀物)來趕走戴魔鬼面具的人。

  追儺在平安時代女流文學的「蜻蛉日記」中也有出現。寫這本書的藤原道綱母在書中有這麼一段:「人は童、大人もいはず「儺やらふ、儺やらふ」とさわぎのしるを、我のみ怒火にて見聞けば。。。」

  將大人小孩都大喊追著鬼的樣子給傳了下來。儺やらふ,或許就是現今所謂的「魔鬼滾出門」的喊聲也說不定。

  藉著如此將鬼以及厄運去除的儀式,節分這個日子從古至今受到愛戴,不過在室町時代左右樣貌有所改變,驅鬼變成了撒豆子了。

  豆子,大豆,是日本人生活中不可缺少的。醬油,味增,納豆,豆腐。。。在我們的餐桌上,真的有相當多菜餚是從大豆製成的。如果沒了大豆,甚至可以說日本人的餐桌佳餚便無法成立吧。

  大豆被視為以白米為首,小麥,粟、被稱做“五穀“的五樣中最為重要的。農作物結實豐碩,被稱作「五穀豊穣」,而大豆被視為其象徵。因此宇蔚認為具有神聖的力量。豆也可以寫成漢字的”魔滅(まめ)“,人們也相信撒有滅魔,驅鬼的力量,所以才撒豆子的。

  因此現在的節分的原型也產生了,藉著撒豆子,和可怕的魔鬼,疾病,災害對抗。

  而魔鬼的擬人化也更進一步,魔鬼害怕的東西除了豆子還增加了其他東西。便是烤鰯的臭味,以及柊的葉子的刺。這兩個變成一個組合「柊鰯」,在節分時也有作為除魔效果裝飾在玄關的習俗。而當節分將近時,街上也會開始賣起大豆還有柊鰯。

  撒豆子並不只是享樂而已,而是為了不要讓魔鬼接近,重新檢視自己的生活,照顧身心的狀態,所以藉撒豆子想迎接節分的到來。

 

福豆

節分時洒的豆子也稱作福豆。趁著在節分前一天將大豆放入枡(四方形的容器)中,放在神桌上供奉。而後將這些豆子炒過後再撒豆子。在這之後也會吃福豆,習俗是吃自己年齡加一粒的福豆。這也被說是是節分在過去所謂的大晦日所留到現在的習慣。對活到現在的這些年頭表示感謝後,吃下自己年齡數目的福豆。然後隔天的立春的到來,也是新的一年的到來,人們祈求未來一年不生病也不出事後,再吃一粒福豆。在福豆中承載著這樣的意念。

  說到節分的食物,雖然稍稍有點被商業化的感覺,但近年惠方卷開始流行起來了。在陰陽道中,那一年中代表吉利的那個方位,稱作“恵方“,而朝著代表福氣的方位吃惠方卷。長長的惠方卷必須直接吃不可以切,因為代表福氣跟緣分都不會被切斷而能被身體所吸取。據說原本是大阪商人們的一種風俗。
 

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